ノルマンディー上陸作戦から3ヶ月後の1944年9月、潰走するドイツ軍を追撃していた連合国軍の補給線は、600キロにも伸びきってしまった。連合国軍は戦力を二分し、ジョージ・S・パットン中将率いるアメリカ第3軍は南方ルートで、バーナード・モントゴメリー元帥率いるイギリス第21軍は北方ルートで進軍していたため、どちらの補給を優先するかの問題も浮上していた。シチリア上陸作戦以来、パットンに強いライバル心を抱いていたモントゴメリーは、後の歴史家に彼最大の汚点と言われた「マーケット・ガーデン作戦」を立案、連合国軍最高司令官アイゼンハワー大将を説得する。彼は政治的配慮から、結局この無謀な作戦を承認する事となる。